「子どもと英語の応援団」 団長の松井美紀です。
今日もこのブログに来ていただいて、ありがとうございます。
年少以上の方は、英語教室・アイキャンへ
昨日は、
保護者の方とのやり取りを通して、失敗から学んだ事をお話しました。
今日は、
1講師だった私が、学校運営責任者になった理由について、
お話ししようと思います。
(いつも昔話にお付き合いいただき、ありがとうございます!)
1.一教師としての限界
1.一教師としての限界
子ども英会話スクールの松本校に採用してもらい、
失敗や成功を繰り返しながらも、
たくさんの子ども達に英会話レッスンを提供している毎日。
ちょうど、3年目のことです。
週5日のレッスン数が25クラスを超え、
担当している生徒が100人を超えました。
(こんな怖い先生じゃありませんでしたが・・・)
仕事自体は、大変ながらも、
少しづつ効率よくできるようになってきましたが、
レッスン以外の業務(生徒ケアや、保護者の方への電話などのケア)が、
いっぱいいっぱいになっていました。
勤めていたスクールは、
いいレッスンは当たり前
生徒・保護者ケアもレッスン以上に大切
という、これまた、当たり前の教室でした。
自分が目いっぱい頑張っても、
100人の生徒さんを担当するのが限界か・・・・・・
2.
マネージャーという立場
当時、勤めていたスクールは全国に支部(○○校)を持ち、
それぞれの学校に、運営責任者(マネージャー)がいました。
松本校の生徒さんが400人近くになった頃、
マネージャーのサポートが必要になったため、
サブマネージャーという形で、運営のお手伝いに入りました。
担当していた生徒さんを半分、他の先生に引継ぎ、
半分の時間で、マネージャーのお手伝いをするようになると、
1教師だと、100人の生徒に接することができる
1マネージャーだと、その学校全員の生徒と保護者の方に接することができる
ということを、日々感じるようになりました。
もちろん、マネージャーはレッスン自体はしませんが、
生徒一人一人の個性や年齢や経験にあったクラスを提案したり、
保護者の方に、カウンセリングしたり。
担当教師ができないこと(レッスン時間以外のロビートークなど)も、
教師とは違う方面から
「保護者とともに生徒を支える」ことに喜びを感じました。
「マネージャーだったら、もっともっと多くの子どもに、
英語学習の素晴らしさを伝えることができるかも。」
そんなことを、思うようになりました。
3.
外を見るということ
松本校で、サブマネージャーとして勤務しつつ、
長野校の移転事業に関わるようになりました。
長野校でレッスンをしながら、マネージャー業をこなし、
長野在住のマネージャーを採用できました。
長野勤務を始めてから1年後には、
その新しいマネージャーに長野校を完全に引継ぎ、
その後は、松本校のサブマネージャーに戻れる!!!!
・・・・・と思いきや、
お隣、静岡県の、静岡校と沼津校のお手伝いをすることになりました。
長野県と静岡県。
隣同士ですが、意外と移動に時間がかかるんです。
日頃は、
松本校にいて、静岡・沼津両校のマネージャーに関わっていますが、
月に2度ほどは、泊まり出張で、静岡2校に勤務していました。
だんだんと
自分の居場所、自分の(所属)学校がどこなのか、
ちょっと不安な気持ちになることもありました。
それでも、長野校と違い、そこに勤務するマネージャーさんと、
一緒に移転を成功させる、という仕事は、
それまでとはちょっと違う目で、
自分の仕事を見直すきっかけになりました。
また、
自分が生まれ育った松本という地と、
同じ県でも「寺町と城町」のように違う長野という地、
そして、温暖な静岡という地。
同じ子ども英会話スクールですが、
その土地その土地で、
教育に対する保護者の感覚も違う
ということを学びました。
いつか、松本校に帰ることができたら、
「松本にあった学校にしよう」と思ったり。
何よりも、「自分の居場所」が欲しくなります。
帰れるかな・・・・・・
続きはまた明日。
私の経験が、
少しでもあなたのお役に立てば嬉しいです。
今日も、子どもと一緒に楽しみましょうね♪
ではまた明日。
See you
tomorrow!
年少以上の方は、英語教室・アイキャンへ
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